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桜ヶ丘中央病院からのひらめき

ある老人病院で実習していたとき、寝たきりのおばあさんが私の手を握ってこういった。
「大きいのが出そうやから、兄ちゃんトイレに連れて行って」。
しかし、この病棟には五〇人の患者に対して1ヵ所しかトイレがなかった。
ヘルパーさんがみんなオムツ交換で走り回っているのに、私一人がお年寄りの手をひいて、二〇メートルも離れたトイレに誘導し、連れて帰ってくることはできない。
ヘルパーさんにも相談したが、「人手が足りないから無理。オムツしてるんだから、オムツのなかでしてもらって」といわれた。
結局、トイレに連れて行くことができなかった。
そのときのおばあさんの悲しそうな目、私の腕をギュッと握りしめて離さなかった、その手の感触を私は今でも忘れることができない。
次の日、そのおばあさんは、食事にまったく手をつけなかった。
「食欲がないんですか?」とたずねると、「上から食べても下から出るだけでしよ」とおばあさんはいった。
私は絶句した。この悲しい体験は、今でも私の原点となっている。
寝たきりや痴呆症のお年寄りにも、トイレで用を足させてあげたい!本当にささやかな、ささやかな願いだが、私の目標がここにある。
こんな悲しい体験があったので、私も自分でその苦しみをたった一回でも味わってみなければならないと思いオムツ体験をしてみたのだ。
「トイレ権」日本と欧米諸国の老人ホームの大きな違いは、トイレだ。欧米では個室が多いし、たいてい部屋にトイレがついている。
しかし、日本ではオムツやポータブルトイレが多い。
昼間からおばあさんかベッドサイドのポータブルトイレで用を足している姿を日本の老人ホームや老人病院で目にするたびに、私は落ち込んでしまう。
皿高齢者を支える施設と病院ある老人ホームに勤める友人にいったことがある。
「ポータブルトイレが多すぎる。
お年寄りの人権やプライバシーをどう考えてるんだ」と。
しかし、逆にいい返された。
「山井さん、何いってるんですか。
ポータブルトイレが多いのは「いい老人ホーム」の印なんですよ。
それだけオムツはずしをしているということですから」と。
私か記憶する限り、欧米の老人ホームでポータブルトイレを雑居部屋で使っているのは見たことがない。
雑居部屋でポータブルトイレを使うということは、たとえ暗闇のなかであったとしても、他人の前で用を足すということだ。
本人もイヤだし、そんな音を毎日聞かされる周りもたまったもんじゃない。
もちろん、雑居部屋を個室にしてトイレをつけるとお金がかかる。
いちいちトイレ誘導するとなると人手がかかる。
しかし、しかしてある。
私は「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という憲法第二五条(生存権、国の社会的使命)の精神にのっとっていいたい。
いくらお金や人手がかかろうが、本人が望めばトイレで用を足せる権利は経済大国・日本のすべての国民に無条件で保障されるべきだと。
これを私は「トイレ権」と呼びたい。
いま日本では「高齢社会福祉ピジョン」や税負担の問題か議論されている。
しかし、現場レベルからいわせてもらえば、負担の問題ばかりでなく、「個室の保障」、[トイレ権の保障]などという高齢者の人権保障や福祉の質の議論こそ活発にやってほしい。
老人ホームは一九九四年現在で約二〇万人分だが、厚生省は二〇〇〇年までにさらにI〇万人分を新築し、待機者をなくすことを目指している。
しかし、問題は数だけでなく質なのだ。
町はずれに四人部屋の老人ホームをどんどん建てて、ポータブルトイレやオムツを多用する今のやり方を続けることなど、国民は望んでいない。
人手が足りないから、雑居部屋でオムツに頼る「Kホール」でのこの短い「寝たきり体験」で何よりも感じたのは、寝たままオムツのなかで排泄することの非人間性と、雑居部屋の居心地の悪さだ。
体験を終えたあとのミーティングで、私は率直にいった。
「うるさくて雑居部屋は寝られない。基本的には、個室を保障すべきだ」。
これに対して職員さんは、[うるさい、居心地が悪い、というが、今まで入居者かしりはそんな批判は聞いたことかない]と反論した。
こう反論する気持ちが、私はよくわかる。
一生懸命に働いている職員さんにとっては、たった二、三日体験した外部の者に「居心地が悪い」と批判されてはたまらないだろう。
オムツについて私は、次のように施設長の島田孝久さんにいった。
「隣のおじいさんが三日間便秘の末、淀腸を打ってもらって、やっと今日下痢が出た。
しかし、そもそもベッドの上に寝ていたら、便秘になるに決まっている。
こまめにトイレ誘導し、実際に便器の上に座らせ、ゆっくり時間をかければ、あのおじいさんも便秘にならないのではないか」施設長さんは、「それはそうかもしれない。
でも、個室にしても、トイレ誘導にしても要は人手の問題だ。
個室にすれば、人手もより多くかかる。
トイレ誘導もこまめにできれば、オムツがはずれることもわかっている。
でも、今の厚生省の基準の人手では、残念ながら、現状が精一杯だ」という。
ミーティングは気まずい雰囲気になった。
問題は国の基準だ私もやっと気づいた。
「個室がいい」、「トイレに行きたい」という願いを老人ホームの現場の職員さんにいっても無理なのだ。
今の人手では限界なのだから。
ここで誤解を招かないように、そして、老人ホームの職員の方々の名誉のためにも申し上げたいのだが、職員さんの頑張りが足りないから、問題があるのでは決してない。
逆に、介護スタッフの皆さんが休む間もなく走り回っている姿を見て、ただただ感心するばかりであった。
島田施設長は、「オムツはずしやトイレ誘導を少しでも進めるため、コンピュータシステムを開発中です。
これによって、デスクワークの時間を減らし、実際の介護に多くの時間をさけるようにしたい』と語る。
日本のなかではハイレベルなこの施設でさえ、国の建築基準、人員7の基準が低いため、十分なお世話ができないのだ。
厚生省の官僚や国会議員に現場の実情を知ってほしい。
そして、老人ホームや老人病院に関する国の建築基準とスタッフの人員基準をアップしてほしい。
現在は厚生省の方針で、個室は老人ホームの全ベッド数の三〇%しか認められていない。
「それ以上個室を増やすと、人手か足りず、介護サービスの低下を招く」という理由からだという。個室だと流れ作業のお世話ができないので人手がかかるというのだ。
その三〇%の個室もおもに、他人に迷惑をかける可能性のある痴呆性老人向けであり、個室を希望するお年寄りのためではない。
雑居部屋の老人ホームですら、一年待たないと入れない。
老人ホームに入れず待機しているお年寄りや家族は、もっとせっぱ詰まった状況におかれている。
さらに悲しいのは、この老人ホームよりもさらに居住環境が悪く、人手も少なく、トイレ誘導も少ない老人病院に、入院の必要のない10万人近い社会的入院患者がいることである。
老人ホームの職員数は、国の基準で年寄り四・五人に対して介護職員一人と決まっている。
実際には交代制勤務なので、昼間は一人でI〇人を、夜間は二五人を世話することになる。
これは欧米の半分の少なさであるうえ、九六三年の「老人福祉法」でこの基準が決まって以来、三〇年たっても増えていない。
その間、入居者は高齢化し、痴呆性老人のような人手がかかる入居者やプライバシーを重要視する入居者も増えた。
にもかかわらず、人手が増えない。
その結果、介護の必要性が少ないお年寄りを優先的に入居させて、自己防衛をする老人ホームも増えてきた。

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